「美しいもの」
それはいったい何だろうか。
本当のところ、私たちにも、わからない。
誰かが言ったからでもなく、
たしかに自分の中で、その美しさに言葉をうしない、
忘れてしまわぬように、直感の源を探し始めていたりもする。
高価や豪華が、美しさのすべてとは限らない。
誠意を感じさせる質のありのままを、数量ばかりでは測れない。
だけど、軽井沢の森がそうであるように、
美しいものは、
毎日そばに在るだけで、言葉はなくとも、
質実で質素な美しさを語りかけてくれる。
私たちは本当にそれをわかりたくて、
そこはかとなく美しいと感じるものに、もう一度、心を留めてみたくなりました。
Hans J Wegner
CH53
with CARL HANSEN & SON
温和で質実な美しさ
それは
「表裏がなく」
「役割がある」
というCH53のデザインによるところかもしれない。
料理人が最後の一味を調える。
画家が最後の一筆を止める。
左官の職人が最後の一振りをする。
どんなものづくりにおいても、
人の五感が終止符を打つときには、緊張が走る。
表裏がないからこそ、集中する。
同じように、手で編まれたペーパーコードには、
「熟練の」「手仕事の」という謳い文句で終わらない
職人の五感が込められているような意識に覚まされる。
その緊張にこちらの姿勢が問われているような気さえする。
実のところ、座ってみると、
シンプルで、肘当てもなく、
ただ座面に身体を委ねることになるので、
自ずと自分の姿勢というものが、そのまま佇まいとして現れる。
両手をひざのうえにすえて、背を正すことになる。
なるほど、こちらの佇まいすら「表裏のない」姿になることを
問いかけてくれる。
それは厳しさではなく、
忘れていたことをそっと思い出させてくれるような
温和な教えである。
そして、ダイニングチェアとしてだけでなく、
エントランスやベッドルームなどとともに並ぶことができるCH53は、
すべての役割に応える。
話は少し逸れるが、
あるスタイリストの言葉に、はっとしたことがある。
「何を着るかではなく、どう着るか」。
「表裏がなく」
「役割がある」
このCH53と、どう暮らすか。
そのなかで、
温和な姿勢と役に立つという喜びを
教えられているような気がする。